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四国八十八箇所 その2

江戸時代初期に「四国八十八箇所」という言葉と概念が成立したとされています。

この頃には僧侶だけでなく民衆も遍歴しはじめるようになりました。

17世紀には真念という僧によって『四国遍路道指南』(-みちしるべ)という今日でいうガイドブックみたいなものが書かれています。

手の形の矢印で順路を示した遍路道の石造の道しるべも篤志家によってこの時期に設置され始めたと言われています。

修行僧や信仰目的の巡礼者以外にも、ハンセン病患者などの、故郷を追われた、もしくは捨てざるをえなかった者たちが四国八十八箇所遍路を終生行ったといわれています。

また、犯罪やそれに類する行為で故郷を追われた者も同様に居たといわれています。

もっともこれらの者たちも、信仰によって病気が治るのではないかという期待や、信仰による贖罪であったので、信仰が目的であったともいえます。

また、信仰によって病気や身体の機能不全が直るのではないかと一縷の望みをかけ、現代でいう視聴覚障害者や身体障害者が巡礼することも始まりました。

その後、地区によっては一種の通過儀礼として村内の若衆が遍路に出るといったこともあったとされています。

修行の地、四国

古代から、都から遠く離れた四国は辺地と呼ばれていました。

平安時代頃には修験者の修行の道であり、讃岐国に生れた若き日の空海もその一人であったといわれています。

空海の死後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めました。

これが四国八十八箇所遍路の原型とされています。

時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、四国全体を修行の場とみなすような修行を、修行僧や修験者が四国八十八箇所遍路を実行しました。

また、西行の白峰御陵(白峰寺)の参拝、弘法大師遺蹟巡礼や、一遍の影響もあるといわれています。

僧侶の四国八十八箇所遍路が室町時代には盛んになりました。

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