成仏(じょうぶつ)とは、さとりを開いて、仏陀(ぶっだ)(如来)になることです。
仏教の開祖釈迦(しゃか)は、ブッダガヤーの菩提樹の下で明(あけ)の明星を見て仏陀(ぶっだ)すなわち覚(さと)れる者となった。さとりをさまたげる煩悩(ぼんのう)を断ち、輪廻(りんね)の苦から解き放たれる意味で解脱(げだつ)といい、仏陀(覚れる者)に成るという意味で成仏といいます。
仏弟子たちは、釈迦と同様の解脱を得るため、釈迦より指導を受け、あるいは釈迦が入滅した後は、その教えに随い、釈迦の説いた教義を学び、教団の戒律を守り、三昧(さんまい)や禅定(禅那、ぜんな)とよばれる瞑想を行なう、いわゆる三学の修行に勤めました。
その結果、釈迦と同様に輪廻から解脱できる境地(涅槃)に達した人物を阿羅漢と呼びます。
これも、広い意味では成仏ですが、教祖である釈迦に対する尊崇の念から、阿羅漢に成ることを、成仏するとは普通はいいません。
あくまで、仏陀は、無師独悟した偉大なる釈迦、ただ一人であるからです。
日常会話や文学作品などでしばしば用いられている「成仏」という表現は、「さとりを開いて仏陀になること」ではなく、死後に極楽あるいは天国といった安楽な世界に生まれ変わることを指し、「成仏」ができない、ということは、死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることを指していることがほとんどです。
こうした表現は、日本古来の死生観が仏教に入り込みできあがった、仏教者が死を迎えてのちに仏の命(いのち)に帰ると考えられた信仰を背景にしています。

